「滅びていくのを、ただ見ているだけでいいのだろうか?」
徳島県の山奥に佇む限界集落を訪れた私は、何度もこの質問を自分自身に問いかけました。今回の視察では、集落の人々が近い将来、この土地で生きる人間が最後になるだろうという運命を受け入れている様子を目の当たりにしたことで、改めてこれからの観光についての在り方と活用の仕方を考えると同時に、地方が抱えるリアルが未来と希望を持てる形に繋げたいと強く感じた旅となりました。
「切ない」日本の限界集落
日本の地方の集落が急速に失われつつある現状を見て、私は「切ない」という気持ちに駆られました。しかしその言葉には悲しみや無力感だけでなく、過ぎ去ったものに対する愛情やノスタルジックなニュアンスも含まれています。徳島県の集落を訪れた際にも、その「切ない」感情が強く感じられました。
集落の日常と文化体験
今回私が訪れた4つの集落は、シンプルな食生活や緑茶を飲みながら山々を眺めるひとときを、旅行者に楽しんでもらおうと動き出した場所です。限界集落という現実を前に、この集落の住民たちは悲しみに打ちひしがれているのではなく、「幸せと喜び、そして希望を持とう」という想いで日々を過ごしています。そういった集落住民の皆さんの想いが強く伝わる場所であり、私はここで多くのことを学びました。
限界集落におけるユニークな体験
4つの集落のひとつである8人しか住民がいないある村では、戻ってきた若い夫婦が旅行客を呼び込もうと奮闘していました。集落で月に一度開催される仏事に参加させてもらいましたが、様々なハプニングがありながらも、住民の皆さんにとって大切な行事をひとつひとつ守っている日々と、それを特別に見せようとするのではなく、あくまでも住民の生活の一部を訪問者と共有しているという在り方がとても魅力的でした。住民と一緒に巨大な数珠を回す独特な体験もでき、忘れられない時間となりました。
観光は限界集落を救えるのか?
正直なところ観光が集落を救えるかどうかは未知数なところはあります。しかし、純粋に訪問者に楽しんでもらうことを選択した集落は、そこが記憶に残る場所、ヒトとして存在することになります。いつか観光客による収益で神社の補修ができるかもしれませんし、田舎暮らし体験プログラムによって若い日本人旅行者を呼び寄せることも可能かもしれません。場合によっては、この村を移住の場所と選ぶ人も出てくるかもしれない。
また、「私は一体何を残しただろう?」「どんな風に覚えててもらいたいんだろう?」
といった深い、意味のある問いを旅行者に提起してくれる時間をも与えてくれます。徳島県の限界集落は、失われつつある日本の魅力を再発見させてくれるとともに、生と死、人生における遺産を考えるきっかけを提供してくれました。
まとめ:限界集落の未来への希望
徳島県の限界集落は、悲しみや無力感がある一方で、希望に満ちた場所でもあります。集落に住む人々の想いと努力を通じて、観光客に新たな価値や魅力を提供し、失われつつある日本の魅力を再発見することができるでしょう。私自身も、この素晴らしい時間と経験を心から感謝しています。